木村元紀氏が考える「社会彫刻としてのガストロノミー」とは
子どもの頃から、食や味覚に対して旺盛な好奇心を持っていたという木村元紀氏は、これまでライフワークとして味覚体験の拡張や、嗜好品の研究を行ってきた。広告代理店でのクリエイティブディレクターの職の傍ら、彼が人々に伝えていきたいものとは−−。
空気の味を妹と語り合った子ども時代
子どもの頃から木村氏の味覚はちょっと変わっていた。
「わざと舌に空気が当たるように息を吸い込んで、妹とこれは何の味だろうって話していました。八ヶ岳の別荘はバニラ、自宅はちょっとヒノキっぽかった。僕と妹の間では普通の会話が、親に話しても、友達に話しても通じないのが不思議でした」
人によって感じ方が違う味覚とは、なんと不確かなものか。食の探究はライフワークとなり、小学校3年の自由研究では味覚や嗅覚をテーマに選んだ。
木村氏が考える「ガストロノミー」とは?
クリエイティブ職コピーライターとして博報堂に入社をしたが、木村氏の味覚の鋭さはすぐに周知のものとなった。入社わずか2年目に担当したビールの商品開発プロジェクトでは、商品のネーミングや広告クリエイティブだけではなく、商品の香りを決めるホップの品種選定と買い付け担当に抜擢。
自身の経験を生かして、酒類、茶、コーヒー、チョコレートなど嗜好品を中心に、味覚体験を拡張する実験的なプロジェクトを行うCOOQ(クック)を主宰。ここでの研究やネットワークを基に、2020年6月には、博報堂が設立した『UNIVERSITY of CREATIVITY(略称UoC)』のガストロノミー研究領域の学部長に就任した。
「ガストロノミーというとフレンチから派生したイノベーティブフュージョン系の”レストラン”などを思い浮かべると思いますが、この学部では『ガストロノミー』という言葉が持つ本来の意味を基に、より指針を明確にするために『社会彫刻としてのガストロノミー』というキーワードを設定しました。『社会彫刻』とはドイツの現代美術家、ヨーゼフ・ボイスが提唱した概念で『あらゆる人間は自らの創造性によって、社会の幸福に寄与しうる。すなわち誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない』というもの。芸術活動は選ばれた芸術家だけが行うものではないように、食に関しても生産者やシェフなど、限られた人だけが活動をするのではなく、一人ひとりが食の未来に向けて行動を起こしていくことが大切という意味が込められています。買う、消費するという行為は経済や社会に対して投票をしているようなもので、食べること自体が直接的に社会の形を変えているものだということを発信していました」
UNIVERSITY of CREATIVITYでの講義「気候変動と食道楽」にて木村氏は独自の読み解きを展開
フードテックや気候変動など食を語る上で欠かせないイシューについて、世界の食思想を牽引するシェフや生産者を交えて研究・発信を続けてきたUoCのガストロノミー領域での活動は、木村氏がライフワークとして活動してきた前述の”COOQ”の活動を前身としたものであった。UoCの開校から1年、ガストロノミーを起点とした活動は次のフェーズへ移行する。共鳴する研究者、食の活動主体を新たな拠点に結集させて、社会に働きかけようとしている。
「食べ手」による社会革新こそが、未来を変える。
「『社会彫刻としてのガストロノミー』というテーマは、これからも掲げていきます。これまでFood Action(食にまつわる社会活動)は、シェフや生産者、食品メーカーや思想家など、食を届ける側によるものが多かった。しかし食の未来を考えると、ごく普通の一人ひとりの食べ手が覚醒しないことには世界は変わらない。なぜなら生産も流通も販売も、そしてシェフでさえも、基本的には食べ手の選択に基づいて最適化をされているからです。」
レストラン「HAJIME」のオーナーシェフ米田肇氏など、世界で活躍するプレイヤーが木村氏の研究室を訪れる
COOQには食の専門家だけでなく、医師、弁護士、音楽家、哲学者など、さまざまなバックボーンを持つ人々が集結している。この人材の多彩さこそが、「食べ手による社会革新」にとって大切なのだと木村氏は語る。UoCでもガストロノミーのゼミに参加した24名は年代も職業もさまざま。参加者の家族である2歳と4歳の子どもも特待生としてゼミに迎え入れた。
「届けるコンテンツを必ずしもすべて同じレイヤーに並べる必要はなくて、すごく尖った専門用語も使っていく濃度の濃いプログラムもあれば、誰にでもわかりやすいプログラムがあってもいい。大切なのはいろいろな立場の人が訪れ、リアルに食の意見交流ができる場だと思っています」
豊かな食文化を有する東京と京都を活動の拠点に
その拠点となるのが東京・京橋にある「KITCHEN STUDIO SUIBA」。さらに2022年には京都の拠点も予定しているという。
「今年2021年7月から、京都市の都市ブランディングアドバイザーに就任しました。1000年にわたって都としての役目を担務した京都は、文化の圧倒的な集積地でもあります。日本の食文化を遡ると、いうまでもなく必ず京都を学ぶことになる。一方東京は、パリと伍するか、それを凌駕するほどの世界的な美食都市。そこへ来て、ここ八重洲です。八重洲は新幹線と新調されたバスターミナルから、日本の津々浦々への旅立つ際の要。日本の食について発信していくのに重要な場所となっていくでしょう。今後はこの2つの拠点から、日本の各地との繋がりを深く感じられるプログラムを実施する予定です。
例えば、古来種の野菜を実際に食しながら、現代のフードシステムに対して考えを進めていくワークショップを現在企画しています。これは非常に示唆に溢れたものになるだろうと期待しています。現在、市場に出回っている野菜の99%は『F1種』と呼ばれる品種。農業としての経済的合理性のために、収量や形質の安定性、病害虫への抵抗力を高められた品種たちです。一方で古来種の野菜は、地域の気象や土壌に合わせて自ら生存戦略を変えて命を繋いできた、実に多様性あふれる存在。例えば、およそ800年前から種を継がれてきたという『平家大根』は同一品種でもそれぞれ形は不揃い。長いもの、短いもの、ごつごつと太いもの、ひょろひょろっと細いものとその姿はさまざまです。口にすると、歯応えのある肉質で、強い辛味と苦味とミネラル独特の収斂味が感じられます。その味わいに、生命としての力強さに、私自身も強く感銘を受けました。古来種の野菜は、大根だけでもなんと110種類以上存在しているといわれています。都に集約されていくだけではない、土着の強かさ、美しさを湛えた古来種野菜は、我々を取り巻く生産・物流・消費の環境を改めて考え直す問いを投げかけてくれているのです」
子どもの頃から食を探求してきた木村氏の頭には、さまざまな構想が渦巻いているようだ。COOQが今後どう成長していくのか今後も注目していきたい。
木村 元紀
Genki KIMURA
COOQ / 主宰
University of Creativity / Director of Gastronomy
https://genkikimura.com/
株式会社博報堂において、コピーライター / クリエイティブディレクターとして、国内外の多数のTVCM / グラフィック / キャンペーンを制作。広告クリエイティブだけに限らず、イノベーションプログラム、事業開発、官公庁との共同プロジェクトに従事。
ライフワークとして、人間の味覚の拡張をテーマに実験的なガストロノミカルプロジェクトを行うCOOQ(クック)を主宰。Bean to Bar チョコレートブランド“Salagadoola(サラガドゥーラ)”を創業し、嗜好品の味覚の研究を進める傍ら、世界中のシェフや美食都市スペイン・サンセバスティアン市との交流も密接に行う。博報堂では、2020年6月に開校したUniversity of Creativityのプログラムディレクターとして、ガストロノミー領域の研究と大学のプログラム開発を手がけた。
<文 / 林田順子>