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【中東俊文氏1/3】食体験が遊びの中に自然とあった幼少時代。中東家の”食の英才教育” Food
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【中東俊文氏1/3】食体験が遊びの中に自然とあった幼少時代。中東家の”食の英才教育”

若き料理人の独立開業を支援する「チャレンジキッチン」プロジェクト。前回に引き続き、2022年度も厳正な審査により選ばれた料理人は、東京・日本橋でのキッチンカーの開業が約束される。この審査員の一人に名を連ねるのが、地産地消の野菜を使ったイタリア料理を提供する東京・西麻布の「草片cusavilla」の中東俊文シェフだ。

京都の名店「草喰なかひがし」の次男として生まれた中東氏。三兄弟全員が料理の道へと進んだ料理人一家・中東家ではどのような食の教育が行われていたのか。

 

目次

  1. 遊びの延長で料理をした幼少時代
  2. 意見を交わすことで支え合う兄弟関係

 

遊びの延長で料理をした幼少時代

 

父の生家は京都で100年以上の歴史を誇る料理旅館「美山荘」。中東氏の幼少期の父は、摘草料理を考案した兄の元で料理を担当していた。

「父は忙しかったので、よく兄弟3人で美山荘に預けられていました。だから父から料理人になれと言われたこともありませんでしたし、特別な食育を受けたこともありません。ただ、当時はまだ祖母がいて、一緒にしば漬けを袋詰めしたり、海老の殻むきを手伝ったり、遊びの一環として料理がありました。だから小さい頃から料理をするのが好きでしたし、褒められると嬉しくて。料理人になるのは自然な選択だったんです。一方、母は音大出身で、自宅でピアノの先生をしていたのですが、兄弟の一人ぐらいは音楽の道に進んでほしいと思っていたようで、ずっと音楽をやりなさいと言われ続けていて。結局3人とも音楽には見向きもせず、料理の道に進んだというのは、料理人になることを押し付けられなかったことがよかったのではないかと思っています」

2幼少期、土筆採りをしている中東氏

幼い頃から和食に親しみ、順当に考えれば中東氏も日本料理の道を歩むのが定石だが、中学1年の時に母と訪れたイタリアレストランが彼の運命を変えた。

「働いている人たちがすごく楽しそうで、格好良く見えたんです。しかも料理もすごくおいしくて、こんな世界があったんだと感動したんです。このときから、僕は日本料理人じゃなくて、イタリア料理を目指すと決めました」

そこから中東少年の見える世界は変わった。これまで漠然と眺めていた雑誌やテレビの情報から、イタリアに関する情報だけが鮮やかに浮かび上がってくるようになったのだ。知れば知るほどイタリアへの憧憬の思いは強くなっていった。

中学を卒業したらイタリアに修業に行きたいーー。そう訴える中東少年に父は「そんなものに金は出さん」と反対。だが中東少年の決意は固かった。「それなら高校でアルバイトをして自分で行きます」と宣言。その熱意を受け、最終的には家族も快諾。高校卒業と同時に渡欧。イタリアで5年、フランスで1年の修業を積んだ。

 

意見を交わすことで支え合う兄弟関係

 

兄と弟は日本料理、中東氏はイタリア料理と、ジャンルは違えども、現在は同じ料理人として、父や兄弟と頻繁に連絡を取り、食材の共有や情報交換をすることも多いという。

「三者三様なので、意見を言うというよりは、お互い学ぶというスタンスですね。例えば、弟はニューヨークで料理人からマネージャーに転身をしたので、店舗運営にすごく長けていて、彼のやり方はすごく勉強になる。一方で、僕が意見を言うこともあって。僕は自分のことを料理人と思っていて、調理人とは絶対に表現しないのですが、あるとき父の店のホームページに『調理人』という文言があって。すぐに兄に連絡をして、これは違うんじゃないかと話をして、最後には兄も納得をした。非難したように見えるかも知れませんが、僕たちは自分の考えを率直に伝え合うことで支え合っている関係です。僕らは3人とも未熟だし、学んできたことが違いますから、お互いの意見はすごく勉強になるんです」

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幼少期の中東氏(写真左)

違うポジションでありながら、忌憚なく意見を交わせる相手が身近にいるからだろうか。中東氏の料理界への視点は広くフラットな印象を与える。兄弟でスターシェフの話が出たときのことだ。「あのシェフは食材のことを何も知らない」という意見に、中東氏は「知っていることのバランスの違い」だと説いた。

「俺らは生まれながらにして食材に触れているから、いつがおいしい、どこがおいしいと知っているし、いまだに探究心を持っている。だけどお金の稼ぎ方は彼らの方がうまいですよね。居酒屋さんをやっているから志が低いとか、サステナブルなレストランをやっているから志が高いという話ではないわけです。僕は単純にお金をたくさん稼ぐことを楽しいと思わないタイプで、それよりもスタッフや農家さんが幸せになることへのプライオリティが高いだけ。でも煌びやかなスターシェフに憧れて、料理人を目指す人もいるわけだし、それは業界として宝だと思うんです。商売をやっている以上、金儲けをするのは当たり前だし、すごくお金を稼いでいる人すごいとも思う。ただ、僕はやりたいとは思わないだけで、何が正しいというのはないですよね。僕が料理を作っているのは、子供の頃から現在まで、ただ楽しいから。その楽しさを忘れないことが自分の糧になっていると思っています」

 

▷【中東俊文氏2/3】コロナ禍で現実と向き合い大きく変えたレストランの方向性

 

中東 俊文
Toshifumi NAKAHIGASHI
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1982年、京都府生まれ。京都の名店・ミシュランニツ星店「草喰なかひがし」の店主を父に持ち、幼少の頃より料理に慣れ親しんできた。18歳で単身渡伊し、トスカーナの「Ristorante Arnolfo」をはじめとするミシュラン星付き店で経験を積み帰国。帰国後も数々の名店で腕を振るい、「erba da nakahigashi」を開業。2020年、「草片cusavilla」にリニューアルした。
独創的かつ色彩豊かな料理を提供し続けている。

草片cusavilla
https://cusavilla.com/

 

 

<文 / 林田順子>