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【西原理人氏 1/2】教わるのではなく自ら学び考える。それが自信につながり料理人としてのブレない評価軸を作る Food
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【西原理人氏 1/2】教わるのではなく自ら学び考える。それが自信につながり料理人としてのブレない評価軸を作る

若き料理人の独立開業をサポートする「チャレンジキッチン」プロジェクト。2021年のコンテストでは、厳正な審査により選抜された料理人が東京・日本橋でキッチンカーをオープンする。その審査員の一人が、奈良県にある日本料理「白 Tsukumo」の店主、西原理人氏だ。

8歳のときには、料理人になりたかったという西原氏。
「どんなに小さくてもいいから、いつかは自分の店を持ちたい」。
その思いを胸に、京都、軽井沢、ニューヨーク、ロンドンと修行と経験を重ね、帰国後、ついに奈良に念願の店を構えた。現在、西原氏の店には県外からも多くの客が足を運ぶ。

多くの葛藤と試行錯誤を経験し、学んできたからこそ、今の自分があると西原氏は語る。

 

自ら学ぶことの大切さを知った京都時代

 

中学で和食を志し、高校卒業の翌日には老舗の京都嵐山吉兆に弟子入りをした西原氏。修業は下足番や庭掃除などの雑用から始まり、いざ板場に入っても、何かを教えてもらえるわけではなかったという。

「10年いましたが、お恥ずかしい話、すべての持ち場は経験していません。当時、京都の同年代の料理人は、6年目にはすべての持ち場を経験していて、さらに上のランクに行こうとしていました。一方の僕は、焼き場だけでも5年。『煮方をさせて頂きたいです』とオファーも出し続けていましたが、人事のことでもありますし、なかなか思い通りにはいきません。焦りもありましたし、料理人としてものすごく劣等感を持っていました。店から料理を教えてもらっていないという感覚もありました。だけど、あるとき『担当をしていないから出汁も引けない』というのはただの言い訳で、すごくダサいことだと気づいたのです」

そこからは、自腹で昆布とかつおを買ってきて出汁を引く練習をしたり、生産者のもとに足を運び、知識を増やしていったという。

「僕は若い料理人によく『自分で学んで得たものは財産になるけれど、教えてもらったものは表層的なことでしかない』と伝えています。例えば教えてもらっていたら、できないことに対して『あの人は教え方が下手だ』『これは教わってない』と思うかもしれない。でもプロとして料理を作るというのは本来『できるようになりたい』『どうしたらできるのだろう』という試行錯誤の積み重ねの上に成り立っているもの。自ら探して、作って、料理にしないと前に進めないんです。実際、日本でトップと言われているような料理人の方と話をすると、自分で学んできた方が多いですね」

自分で道を切り開く。その経験はニューヨークで役立つこととなった。

 

暗中模索の中スタートしたニューヨークの精進料理店

 

西原氏はその後、軽井沢にある蕎麦の名店「東間」での料理長を経て、京都にある老舗生麩店「麩嘉(ふうか)」が手掛けた、ニューヨークの精進料理店「嘉日」のオープンと初代料理長を任されることになる。
ニューヨークでは95%のレストランが3年以内に潰れているという。しかも西原氏は英語も話せず、精進料理の経験もなかった。周囲からは3ヶ月で撤退するだろうという厳しい声も聞こえた。そして実際、ニューヨークでの日々は西原氏にとっては苦難の連続だった。

「精進料理は魚・肉・卵を使えません。さらに日本の野菜は輸入が禁止されていることも分かった。現地の野菜だけで精進料理を表現しなければならないわけです。経験もないうえに、仕入れのコネもありません。まずは京都時代と同じように、食材探しや生産者の元へと足を運び、見たこともない食材に関してはどう料理をするのか食材と向き合いました」

食材だけでなく、料理においても模索が続いた。多くの制約があるなかで自分の味をどう表現するのか、どこまで外国人の味覚に合わせるべきか。前例のない挑戦がゆえに、葛藤が続いた。

「嵐山吉兆では2品目に必ず椀物を出します。もちろん吉兆がベストだと思う味付けでお出しするのですが、それに対してお客様がどう思われたか、必ず味加減を伺います。『ちょうどいいお味です』という方もいらっしゃれば、薄く感じる方も、濃く感じる方もいますので、その感想を元に次の料理からお客様に合わせて味を微調整していました」

日本人と外国人で微妙に味つけは変えたものの、西原氏も当初は吉兆と同じように椀物を出し、その反応によって味を変え、料理を提供していたという。

「ところがあるとき、日本人の方に同時に出した同じ味付けの椀物に対して、『薄すぎて物足りない』という意見と『これは攻めすぎだ。海外向けなのか』という意見、正反対の反応が返ってきたのです。同じ日本人でもこんなに両極端に意見が分かれるのに、海外の方にはどうしたらいいのか。悩んだ結果、このスタイルを続けていたら完全にブレると思いました。それで自分がベストだと思う味を信じようと決意しました。日本人だから、外国人だからこういう味付けだろうと自分の味ではないものをお出ししているうちは、味付けに対しての指摘を受けても、自分に芯がありませんから、言い訳や迷いが生まれます。でも自分が信じて作った料理に対していただいた指摘であれば、自分の責任だと思える。そう考えるようになって、気持ちはすごく楽になりました」

自分の味を表現しつつ、それでいて押し付けがましくない。日本人にも外国人にも喜んで頂ける料理とは何か。考えて辿り着いたのは精進料理というシンプルな料理に「橋渡し」をするという発想だった。

「精進料理には淡味という考え方があります。淡い味の中に本質的なものを明確に浮かび上がらせるという美学です。日本ではやさしい味と思われるこの淡味ですが、海外の方にはboring=退屈な料理と表現されてしまう。そこで最初は精進料理そのものを食べていただき、こちらが日本人の好む味ですと説明をします。次にトッピングを加えて食べていただく。すると食感が加わったり、香りがふくよかになる。トッピングをたくさんかけた方が好きという方もいれば、日本人と同じように食べたいという方もいます。どちらが好きかはお客様の好みに委ねますが、どちらも僕の料理であることは間違いない。精進料理を受け入れてもらい、さらにそこから新しいものを見出してもらえるかをニューヨークでは常に考えていました。この時の考え方は今の料理にも生きていると思っています」

信念を貫いた西原氏の精進料理は話題となり、有名シェフもプライベートで訪れるなど連日満席に。ついにはミュランガイドの二つ星を獲得し、就任からわずか3年の間にニューヨークで自身のスタイルの精進料理を確立した。

Masato Esp0009 (1)ニューヨーク「嘉日」料理長時代に西原氏がスペインから招待された世界の料理学会「マドリッドフュージョン」にて。”感性”をテーマに調理の技を披露した

 

日本と欧米でのシェフの地位の違い

 

「ニューヨークで印象的だったのは『あのシェフがこのレストランにいる』と、レストランよりもまずシェフの名前が出てくることです。レストランの名前が先に上がることの多い日本とは逆です。また、取材やイベントでは、シェフはアーティストに属した職業として捉えられていると感じました」

一方で「料理人は誰にでもなれる職業だと思っています」と西原氏は言う。

「例えばプロ野球選手や弁護士が料理人になることはできますが、逆はできないですよね。ニューヨークでも芸術家やミュージシャンを目指す若者が、それだけでは食べていけないからレストランで働いている。飲食店は別の夢を叶えるための受け皿になっていました」

アーティストとして脚光を浴びる料理人がいる一方で、飲食業界は参入障壁が低い分、様々な目的や思いから料理人になる人がいる。ではどうすれば料理人としての地位を高めることができるのか。

「自ら学び、自分の評価軸をしっかりと持って、自分の仕事に誇りをもつことが大事でしょう。そうして努力した先に欧米のような地位があることは、若い料理人にとって大きなモチベーションにもなります。そして料理人の地位が欧米並みに高まれば、日本の料理業界はより豊かに発展していくはずです。努力し、誇りをもった日本の若い料理人たちが増えて、そのような料理人の一人ひとりにスポットライトが当たるような、輝かしい舞台がもっと用意されていくことを願っています」

 

西原 理人
Masato NISHIHARA
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1977年生まれ。高校卒業後、京都嵐山吉兆で10年の修行を積み、軽井沢の蕎麦懐石の名店、東間で料理長を務める。2009年、3年の任期でニューヨーク初となる精進料理店「嘉日」の初代料理長となる。2010年にはアメリカのRising star chefに選出。2011年、2012年度のミシュランガイドニューヨークで二つ星を獲得。吉兆時代の師を訪ね、日本料理店「UMU」で3年を過ごしたのち、2015年独立し、奈良県に「白 Tsukumo」をオープン。西原氏の料理を目当てに県外からも多くの人々が訪れている。

 

<文 / 林田順子>