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【野元知子氏】調理を記録するテクノロジー。ソニー「録食」が切り開く新たな食の可能性 Food
Innovation

【野元知子氏】調理を記録するテクノロジー。ソニー「録食」が切り開く新たな食の可能性

ソニーが研究開発した「録食(ろくしょく)」が面白い。アーティストがスタジオで録音した音源が家庭で再生され、リスナーがやがてその魅力にひかれてファンになりライブへと足を運ぶーーそんな音楽産業の構造を食の領域へと適用したのが録食だ。現在は大阪・関西万博での展示に加え、東京・京橋のSUIBAでポップアップレストランを展開し、未来の食体験を提示している。そのテクノロジーと、録食が描く食の未来について、事業を手がける「味わう株式会社」代表の野元知子氏に聞いた。

 

録食プロジェクトが始動したのは約6年前。ソニーグループの新規領域を探索する研究開発のひとつとして始まった。

「音楽はなくても生活に直ちに支障が出るものではありません。しかしパンデミックの際、多くの人がライブに行きたいと強く願ったのではないでしょうか。コロナ禍を経て、私たちは心を満たす重要性を実感し、その価値はより一層高まってきています。同様に食もまた、文化、社会、産業、歴史と深く結びついたエンターテインメントであり、感動の源泉。心を満たす体験にテクノロジーの力でいかに貢献するかは、ソニーが得意とする領域でもありますので、食においても挑戦してみようということで開発がスタートしました。」

R0001622録食チームのメンバー(左から井上氏、野元氏、織田氏、鎌田氏)


従来のレシピ動画とは異なる、料理を〝記録〟し、〝再生〟する録食

 

録食は調理のプロセスをデータ化することで、誰もが同じ味を再現できる技術である。
専用スタジオでシェフの調理を“録食“し、従来のレシピや動画では捉えきれなかった火加減、食材を加えるタイミング、混ぜる速度、温度や重量の変化を秒単位、1℃単位、1g単位という精度で記録する。

L1110617録食では各種センサで調理を記録。プロの味を忠実に再現する

利用者は再現したいメニューを選択し、あらかじめ用意されたミールキットを使って調理を行う。記録されたデータを分析して作られた音声・映像・温度グラフによる調理ナビゲーションに従って調理を行う。録食対応の専用IHは、調理中の重量変化や温度などに基づいて、リアルタイムで火加減を自動調整する。わずかな量の調味料も重量表示で確認できるため、あらかじめ計測の必要はない。また、フライパン内で食材を混ぜるタイミングや混ぜ方も音声と映像で指示されるため、いつでも、どこでも、誰でもプロの味を再現できるようになっている。

R0001580録食「ポークビンダルー」のミールキット

「誰がいつ作っても同じ味になるように、数十回にわたり味見を重ねています。料理家の杉山絵美さんには『私よりも私の味になっている』と評価していただいたほど、再現度は高いのです。」

L1110615中学1年生が録食で再現調理に挑戦

実際に料理経験の少ない中学1年生が録食を用いて南インド料理のポークビンダルーを調理したところ、ややぎこちない手つきながらも、完成した料理はしっかりとレストランの味を再現していた。さらに40分の煮込み工程も、火加減が自動制御されるため、調理者がコンロの前につきっきりになる必要がないなど、利便性も実感することができた。

ポークビンダルー本格的なポークビンダルーが完成

 

録食が目指す食の未来とは

 

一度データ化された料理は、時間や場所を超えて再生可能となる。近年、食は文化遺産的側面で語られることも多いが、録食があれば100年後に現代の料理を甦らせることも、海外のシェフの一皿を日本で味わうこともできる。
テクノロジーの力で新たな価値を創出する録食は、未来の食の風景をどのように変化させると考えているのだろうか。

「まずシェフのあり方が変わると考えています。従来、シェフは基本的に自らが調理することでしか収入を得ることができませんでしたが、録食で調理を配信をするようになれば、料理の再生数に応じて収益を得ることができます。
また家庭の食卓も変わります。録食があれば、老若男女を問わず、本格的な料理を作ることができますから、普段料理をしない方、料理スキルを持たない方でもホスト役として食事を振る舞う側にまわることが可能です。レストランでは〝もてなされる贅沢〟を味わうことができますが、家庭では〝もてなす贅沢〟を楽しめるようになるでしょう。
さらにデータで繋がることによって、どこでどういう食材が、どのようなタイミングで使われているのかが把握できるようになりますので、将来的には健康的なメニュー提案や、フードロスの削減にもつながると考えています」

L1110609録食のモニター。ゲーム感覚で調理を楽しむことができる。

録食のビジネス展開は、まずは業務用市場から始める方針だという。

「これまでの日本の飲食チェーンは、安価な業態が中心でしたが、録食を導入すればシェフ不在でも中価格帯の多店舗展開が可能になります。」

普及に向けた認知拡大への第一歩が、大阪・関西万博の展示であり、京橋でのポップアップレストランである。特に後者は、録食の体験の場であると同時に、社会実装に向けての事業検証の場にもなっている。

「店舗運営を通じて、想定していた課題も、想定外の課題も見えてきました。例えばSUIBAは35席あるのですが、20名の来客で録食3台がフル稼働してようやく回るという状況です。20名というのは決して多い来客数ではありませんから、どのようにオペレーションをすればいいのかを模索しているところです。SUIBAでの実証実験はオペレーションをどう構築するのかを学ぶ場となっており、大変貴重な機会になっています。」

0b79f227 F130 44a6 9ac5 23033815b87c味わう株式会社 代表 野元知子氏

様々なトップシェフのお料理を組み合わせてコース仕立てで味わえるとあって、来店者の評価は高い。

「現段階では、調理の記録をする“録食”自体が特別なことで、限られた特別なシェフや料理家だけがご自身の調理を録食(記録)することが出来ます。ただ、将来的にさらに技術開発が進めば、コストダウンは可能になり、誰もが自分の料理を録食(記録)・配信できるようになると考えています。。例えば携帯電話は登場した当初は限られた人しか使えませんでしたが、30年以上が経過して誰もが持つものになりました。録食がそこまで時間を要するとは考えていませんが、いかに速やかに録食を普及させるかは重要だと思っています。」

調理をデータ化し再現可能にすることで、食を単なる消費行為から情報資産へと拡張する。録食はシェフ、生活者、そして社会全体に新しい価値をもたらす食のデジタルトランスフォーメーションである。今後、この技術が私たちの食卓をどのように変えていくのか、大きな期待が寄せられている。

 

店舗情報
録食(9月26日までの期間限定)
住所:東京都中央区京橋1-12-7 SUIBA by 京橋キッチン
営業:水・木・金曜 17:00~23:00(22:00L.O)
定休日:月・火・土・日曜
※録食の調理体験は貸切のみ可。貸切は5名〜。

 

野元 知子
Tomoko Nomoto
L1110663 1
味わう株式会社 代表取締役
ソニーグループ株式会社にて『人と地球の幸せをUpdateする』をミッションに食・農領域における新規事業探索を担当。食に関する研究開発である食プロジェクトのリーダーを務める。
録食チームにて、料理を正確に記録・再現する次世代の調理データ技術「録食」の研究開発に従事。イントレプレナー(社内起業家)として、「食×テクノロジー×楽しさ」を軸に、新たな産業の創出を目指すプロジェクトを率いる。
人と地球のHappiness、そして食文化・食産業の発展に貢献する未来を創るべく、日々邁進している。

 

 

<文 / 林田順子>